阿原屋

あばらや

『馬鹿と嘘の弓』森博嗣

f:id:exsol4544:20201025043908p:plain

書店でぶらぶらと新刊を眺めていたら、森博嗣がまた新作小説を出しているではないですか。しかも講談社ノベルス。表紙の裏に書かれてあるあらすじを読んで、「なるほど『ゾラ・一撃・さようなら』みたいな設定はオーソドックスな私立探偵モノかな?」と思ってページをめくり、登場人物一覧表を見て驚きました。

これXシリーズの続きやんけ!

これはマストバイ。即行でレジに持っていきました。

 

◆感想

匿名の依頼を受け、ホームレスの青年である柚原典之の調査を進める小川令子たちだったが、対象はとても穏やかで冷静、かつ理知的な性格であり、定職に就いていないこと以外には特に問題のある人物には思えない。柚原について調べていくうちに、依頼人の正体やその目的について、小川は疑問を感じ始める。

ある日、柚原と面識のある年老いたホームレス(柚原からすれば名前も知らず、一度だけ彼から本をもらった程度の関係)が路上で倒れ、病院に搬送されたがそのまま死亡した。亡くなったホームレスは大学を退官した元教授で、住居も資産もあり、決して生活に困っていたようには思えず、彼がなぜホームレスに身を窶していたのかは不明であった。また彼の遺品からは、柚原の写真が見つかり、それは小川たちに調査を依頼した人物が送ってきた写真と同じものだった。いくつもの不可解な点が表面化し、小川たちはさらに調査に力を入れていく。

 

Xシリーズの最終作である『ダマシ×ダマシ』のあと、探偵事務所を続けることにした小川令子と、新しく所員になった加部谷恵美がどうなったのかは非常に気になるところでしたので、この新作で探偵コンビとしてうまく活動している描写を読めて安心しましたね。二人の会話でのやり取りはさすがの森博嗣節って感じで、ファンが期待しているものが注文通りに提供されています。明るい彼女が久し振りに見れてよかった。真鍋瞬市永田絵里子が出てこないのは寂しいけれど、遠くにいるわけじゃないから、シリーズが続けばどこかで再登場してくれるかな?

 

本作で最も焦点を当てられる人物である柚原典之は、その不幸な生い立ちや境遇のためか、厭世的な生き方をしているというのか、若くして悟りを開いたかのような独特な価値観を持っている。現在の社会構造についての不満を漏らしはするものの、自分の貧しい窮状を悲観しているわけではなく、恨みや妬みといった個人的な感情を排した、あくまでも冷静で理知的であり、社会や人間に対して客観的な視点から俯瞰しているかのような物言いを淡々と繰り返す。

その柚原典之と探偵たちのやり取りをそれなりに楽しく読み進めてはいましたが、ページを進めてもなかなか事件性のある出来事が発生せず、もしやこのまま大したイベントもなく終わってしまうんじゃないだろうか、と不安に駆られ始めたところで……。

第四章にやられました。

どことなく妙に緊迫感を覚える描写にどきどきしながら読み進めていく中、物語は転調し、まさかの急展開を迎え、本作を読み始めた段階では予想だにしていなかった衝撃的な結末へと走り出す。

これもひとつのミスリードと呼べますかね。森博嗣の小説を多く読んできた読者だからこそ、加部谷恵美の存在とか、海月及助を想起させる柚原典之という人物像のおかげで、物騒な事態にはならないだろうと思考が誘導されてしまい、そのためにクライマックスの衝撃が増してしまった。彼女がちゃんと幸せになれる日は来るのだろうか……。

 

そこに確かに存在しているのに、目を背けて視界に入れないようにしているモノ。

普段は意識していないだけで、きっと誰もが心の奥底に抱えている負の側面。

それを暴かれ、目前に晒されてしまったかのような読後感でした。

今のような時代だからこそ、本作の犯人が語る動機と同じようなことを考えてしまった経験のある人は結構多いと思うし、すでに似たような事件が現実でも発生している昨今、もはや彼の価値観は突飛なそれとは言えないでしょう。近い将来、実際に現実の世界でも、追い詰められた人々による同様の事件が多発する可能性も十分考えられると思います。

なんというか、まあ、それが世の流れですよねえ。

 

本作に本格ミステリ要素を期待している人はまずいないと思いますが、いつもの森ミステリィともちょっと違った感覚で新鮮でした。続きがあるならば、楽しみです。男性のレギュラーキャラも欲しいところ。

 

◆評価:6 ★★★